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東京地方裁判所 昭和29年(刑わ)4084号 判決

本籍 長野県北安曇郡神城村六、七四七

住居 東京都世田谷区世田谷一丁目一八九

文筆業

宮本幹也こと宮本正勝

大正二年三月二十日生

本籍 静岡県磐田市富士見町一〇六

住居 東京都豊島区雑司ヶ谷一丁目五〇

会社員 丸尾文六

明治四十二年八月三日生

右両名に対する名誉毀損被告事件について、次のとおり判決する。

主文

被告人宮本正勝を罰金五万円に処する。

右の罰金を完納できないときは、五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

被告人丸尾文六を罰金五万円に処する。

右の罰金を完納できないときは、五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は、全部被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人宮本正勝は、長野中学を経て明治大学専門部文科文芸部に在学中懸賞小説に当選してから作家を志したが、昭和十三年頃から綜合雑誌「公論」の編集長となり、終戦後一時郷里松本市に帰郷の後昭和二十四年末上京し、爾来大衆文学の作家として文筆業に従事している者であり、被告人丸尾文六は、静岡県見附中学を卒業後大日本雄弁会講談社に入社し、永らく雑誌「少年倶楽部」の編集部員をした後、昭和十八年雑誌「絵本」の編集長となつたが、終戦後株式会社光文社に転じ、雑誌「光」及び「少年」等の編集長を経て、昭和二十三年雑誌「面白倶楽部」創刊とともに、その編集長となつたものである。

被告人宮本正勝は、昭和二十九年八月中旬頃被告人丸尾文六から右面白倶楽部同年十一月特大号に小説の執筆を依頼され、同年九月中旬頃東京都世田谷区一丁目一八九の自宅において、「幹事長の女秘書」と題する小説を脱稿した。その小説の梗概は、「自民党の幹事長後藤大作のもとに、ある日純真ではあるが奔放なアプレ型の若い女性が現れて強引に秘書に居すわる。後藤幹事長は彼女に引きずり廻わされ、政務を忘れて彼女と交際するうちに案外な楽しさを感じ始める。彼女と銀座や渋谷の路地をうろつき廻つたり、金魚の葬式に花輪を送つたり、はてはホテルの一室で焼酎を飲んで彼女に添寝するが、その翌日彼女はひそかに地方の学校の教師になつて幹事長のもとを去つて行く。幹事長は安心と未練の感情をいだきながら彼女をなつかしむ。」という筋である。

ところが主人公の後藤大作は世田谷区北沢に自邸を有しており、渋谷区南平台に自邸を、銀座交詢社に事務所を有し、保守党大同団結のため新党結成運動をしている岸井新介の実弟に当り、しかも戦犯裁判中に病死した松岡要介元外相の甥であつて、猿養法相が検察庁法第十四条による指揮権を発動したことによつて逮捕から救われたものであり、沼田蔵相を後任者として幹事長を辞任した人であると記載してあつて、仮名を用いてはいるものの、一見して後藤とは世田谷区北沢に自邸を有する前自由党幹事長でその後池田前蔵相を後任者として幹事長を辞任した実在の現衆議院議員佐藤栄作のことであることが容易に推知できるような表現になつている。

しかも右の文中には、たとえば、

一、実在の人である保全経済会の伊藤斗福であることを読者に容易に推知させるに足る「大全経済の加藤土福」という人物を登場させ、後藤には、「いささか後めたいところもあつた現に世田谷の家を七百万円で買つたのも、息子のために三百万円で家を建ててやつたのも、実は大全経済の加藤土福から金が出ていたからである。」とか、

二、「つる子とは後藤が愛していた赤坂の芸妓で、後藤との間には娘さえ生まれ、その娘はもう十九才になつているのに、大年増のつる子がまだ赤坂で左褄を取つていると聞いて唖然としたのももう二月前の事だつた。」とか、

三、(一) 「二十二、三才の美女若月ミチコが銀座で後藤の首に両手を廻してぶら下り下唇を出して馬鹿に甘つたるい声で『いやーん、センセも行つてエ。』等と云うと、後藤は、赤坂の半玉などに意識的に甘つたられてヤニ下つた覚えはあるが、どうも一人前の娘にしかも白昼、公々然たる銀座の真中で、と思うと照れざるを得ず、あたりを見廻した。強いて政治家としての威厳を示そうとしたが無駄だつた。ミチコに腕を取られて歩き出し、小さなキツチンへ連れて行かれ、そこでミチコの同性愛の恋人の野球選手山崎淑子に紹介され、ミチコに対し『同性愛つて、やつぱりその、男女の恋愛のようにその、何かね、何でも不自由なく、その』等と尋ねると、『そうよ、何でもよ、何もかもよ』と答えられてにやりとした。『うーむ』と後藤は唸り、こりや相当のシロモノかもしれんぞと内心思つた。」とか、

(二) 「後藤が首相外遊前の重要法案審議の折衝等に多忙なある日、呼吸抜きのつもりで第一議員会館の自室へ行くと、後藤の女秘書となつたミチコがパンテイ一つになつて床の上に寝て、お尻を宙に持ち上げて、足をばたばたさせていた。驚いて『あツー』と立ちすくむと、ミチコも飛び起き『ひどいわ、センセの意地悪ー』と云いつつカーテンの蔭に逃げこんだ。後藤は今見たばかりの真白いふくよかな乳房を思い出していた。ミチコは『美容体操をやつていたんです』等と云い、カーテンから顔だけ出して『センセ、スリツプを投げてエ、ブラジヤーも……知らないツー恥かしいわ』と云つた。そこで後藤は『ふーん。美容体操か大変なんだなあ』とスリツプを投げてやると、ミチコは器用に片手で受けて、カーテンの蔭でもぞもぞやつていたが、間もなく出て来た。後藤は、ふと思い出したように廊下に出てふーと溜息を吐いたが、ミチコの顔を見ると、国会の憂さが一ぺんに吹つ飛ぶのは奇妙であると思い、そのことを考えながら歩いていた。」とか、

(三) 後藤が赤坂のつる子という芸妓に生ませた娘と一緒に議員会館から自動車で赤坂の待合へ行つたのを、ミチコが流しのタクシーで尾行し『驚いたもんだわ。二人で待合へ。ふーん。凄いもんだわ。いいわよ、判つたわよ。運転手さん、議員会館へ引返して頂戴』と云つた。」とか、

(四) 後藤は、官界から政界に入つてせいぜい九年だが、どうやら空とぼける術だけは政治家なみに上手になつている。一般には円満な家庭というようになつているが、昔は女房の妬きもち焼きに手をやいたものだ。今は諦めているらしいが。」とか、

(五) 「渋谷のピンコツプという家の外側に四本の長い柱を立てて作られたミチコの家で、後藤がドラ声を張り上げてミチコの真似をして五ツ木の子守歌を唱つた。唱つていると政争も疑獄も消え果てて、何やら子供の頃に一足飛びに帰つたようなやるせない思いに駆られ、町にネオンの灯がつくと、後藤はミチコと渋谷のごみごみした路地から路地をうろつき廻つた。ミチコの子分のパンスケの洋子、モロテキという流しのバイオリン弾き、靴みがきのピイちやんという少女と知り合い、桜ヶ丘の坂の上のアトリエに行き、十四、五人の女性が裸体のデツサンをやつているのを見たが、モデルは花恥かしき乙女かと思いの他、むくつけき胸毛もぢやもぢやの色黒き男だつたではないか。」とか、

(六) 「颱風の夜に、後藤はふとミチコの家を思い出してハツとした。彼女が姿を見せなくなつて一ヶ月にもなる。その間に古田首相は後藤の後釜に沼田前蔵相を据えた。そして議会では目下財政委員会が首相の失言と責任を追求すべく証人として呼び出す決議をしてしまつた。それを蹴飛ばすかどうかで、いよいよ古田内閣も大詰に来た感があつた。あれやこれやで後藤も忙しく、ついにミチコの事は気にはなつていたがそのままになつていた。『行つて見よう、兎に角。』自動車が渋谷に近づくにつれて、被害が相当に甚大であることが判つて来た。ピンコツプのまわりを歩いて見ると、黒い影があつた。『若月君か』『センセ』後藤は風から守るように彼女を軽く抱いた。『兎に角、泊るところを探そう。行こう。明日になればわしが住みかは心配してやる。』と後藤が云うと、ミチコはピンコツプから一升壜をさげて来た。『焼酎よ。ミチコ、嬉しいのよ。この嵐の中を来てくれたのはセンセだけ。ミチコ、うんと酔つ払いたい。うんと飲むのよ』後藤は颱風の中を遠くは行けないと思つたので、恵比須寄りに伊達の邸だつた伊達ホテルがあることを思い出して、其処へ自動車をつけさせた。殿様の日本間だつたらしい大きな室の真中に寝台が一つあつた。ミチコは一升壜の半分ほど一人であけてしまうと、ぱつたり倒れるようにその寝台の上に寝てしまつた。後藤は暫く立つて、ミチコの逞しい太腿や白い胸のあたりを見ていたが、そつと寄つて彼女のまくれた裾のあたりにタオルの掛ぶとんをかけてやつた。そして自分もその横にそつと横たわつた。それから、片手で彼女の黒い髪の毛をそつと撫でて見た。そして深い眠りに陥つた。目がさめたのは昼近い頃だつた。飲み慣れない焼酎のせいか頭がひどく重かつた。傍にミチコの姿がないのに気がついて、飛び起きてみると、枕もとの小卓の上に置き手紙がしてあつた。」

という旨の描写がある。

このような描写は、その登場人物の氏名、言動及び背景となつている事件等によつて、一般読者に対し、実在の佐藤栄作が保全経済会の伊藤斗福からもらつた金で家を買つたり建てたりし、あるいはまた赤坂の芸妓との間に娘をもつている事実があるかのような感じを与え、常軌を逸したアプレ型の女秘書があつて、多忙な公的生活のさ中にも女秘書との間に遊戯的な交渉をもつていたのではないかという印象を与え、佐藤栄作の名誉を害するおそれのあることは明白であるが、被告人宮本は、その頃右の原稿を被告人丸尾文六に送付した。

被告人丸尾文六は、右の小説の内容が右のようなものであることを認識しながら、被告人宮本と犯意を通じ、被告人両名共謀の上、これを面白倶楽部に掲載して一般に発売配布しようと企て、被告人丸尾において、同月十七日頃右小説の題名を「幹事長と女秘書」と訂正し、更にその冒頭に引句として、「疑獄事件で指揮権を発動された古田内閣の幹事長後藤大作は幹事長を引退したが、アプレ型の女秘書に人生の郷愁を感得した―快作家の快作」と掲記し、また小説の末尾に断り文句として、「この小説にはモデルはありません」と附記し、更に被告人宮本の希望によつて画家の田代光こと田代友綱に依頼して描かせた佐藤栄作、岸信介及び吉田茂の似顔等の挿絵四枚を右小説に挿入した上、これを面白倶楽部昭和二十九年十一月特大号誌上六十頁から八十五頁までの間に掲載し、同月下旬頃、右雑誌約十二万部を東京都千代田区九段一丁目七東京出版販売株式会社等の取次店を経て、同都豊島区池袋二丁目八六八芳林堂書店その他全国各地の書店に配布し、その頃全国各地で一般読者に販売し、公然事実を摘示して佐藤栄作の名誉を毀損したものである。

(証拠の説明)

判示事実を認定した証拠の標目は、

一、被告人宮本正勝の公判廷における供述

一、同人に対する検察官作成の供述調書二通

一、被告人丸尾文六の公判廷における供述

一、同人に対する検察官作成の供述調書二通

一、証人大坪昌夫の供述を記載した第六回公判調書

一、同人に対する検察官作成の供述調書

一、証人瀬川節子の供述を記載した第七回公判調書

一、同人に対する検察官作成の供述調書

一、証人田代光こと田代友綱の公判廷における供述

一、同人の供述を記載した第六回公判調書

一、証人佐藤栄作の公判廷における供述(二回)

一、証人小玉治行の公判廷における供述

一、押収してある雑誌面白倶楽部一冊(昭和三十年証第六一九号の一)

一、押収してある右雑誌原稿(特に十頁参照)(前同号証の二)

一、押収してある雑誌「全貌」及び「森脇メモ」(前同号証の四、六)

一、島田甲一に対する検察官作成の供述調書(以下販売関係)

一、安藤武に対する右同調書

一、高橋種治の答申書

一、中沢新一の答申書

一、青木堯の答申書

一、石井晋の答申書

であるが、次にその証拠説明をする。

まず、判示冒頭の被告人両名の経歴及び職業については、同人等の公判廷の供述によつて認められるところであり、被告人宮本正勝が株式会社光文社発行の月刊雑誌面白倶楽部の編集長である被告人丸尾文六の依頼によつて、昭和二十九年中旬頃「幹事長の女秘書」という判示のような描写のある小説を執筆して、これを被告人丸尾文六に送付したところ、同被告人はその題名を「幹事長と女秘書」と訂正し、更に判示のような引句と断り文句を附記し、佐藤栄作ほか二名の似顔等の挿絵四枚を挿入し、これを印刷に付し、判示のとおり面白倶楽部の昭和二十九年十一月特大号に掲載して、同月二十一日頃からその十二万部を全国書店を通じて一般読者に販売した事実も被告人等の認めているところで、前掲の各証拠によつて明らかである。

被告人両名は、本件作品の意図するところは、汚職に疲れ果て政争と政権に執着している政治家がふと現れたアプレ女性の純真さに触れて素直な心を取り戻し、自らの魂の故郷に還るという過程を描いたもので、佐藤栄作をモデルにしたものではなく、作者のフイクシヨンであり、またその内容も主人公後藤大作の人間味溢るるところを描いたものであるから、佐藤栄作の名誉を毀損するような内容のものではなく、同人の名誉を毀損しようとする意思はなかつたと主張するのである。

そこでまず、被告人宮本正勝が本件小説を執筆するに当つて、佐藤栄作をモデルにしたものでないかについて検討すると、前掲証拠物雑誌(前同号証の一)の記載によつて明らかなとおり、本件作品には各所にその主人公の後藤大作は実在の人元自由党幹事長佐藤栄作を推知せしむるに足る表現がなされている。

すなわち、右作品中には、「後藤大作は世田谷区北沢に自宅を有する自民党幹事長であつて、渋谷区南平台に自宅を、銀座交詢社に事務所を有し、保守党大同団結のため新党結成運動をしている岸井新介の実弟に当り、しかも戦犯裁判中に病死した松岡要介元外相の甥であり、造船疑獄や大全経済事件が起きた際にはその渦中にあり、猿養法相が検察庁法第十四条による指揮権を発動したことによつて逮捕から救われたものであり、沼田前蔵相を後任者として幹事長を辞任した人である。」旨を記載しているが、証人佐藤栄作の証言によれば同人はいわゆる造船疑獄事件当時自由党幹事長の職にあつたもので、世田谷区北沢に自邸を有し、「渋谷区南平台自邸を、当時銀座交詢社に事務所を有した保守党結成運動の提唱者であつた岸信介の実弟」に当り、「戦犯裁判中に病死した元外相松岡洋右の甥」であることが認められるばかりでなく、佐藤栄作がさきに摘発された「いわゆる造船疑獄事件の渦中にあり」、「犬養法務大臣が検察庁法第十四条による指揮権を発動したことによつて逮捕を免れた」が、その後「池田前蔵相を後任者として幹事長を辞任した」ものであつて、このような事実は当時一般国民に公知の事実であつたから、右作品の登場人物には色々架空の名前を用いてはいるが、作品中の主人公後藤大作は実在の人物である佐藤栄作を指すものであることは何人にも明らかである。

現に前記光文社の編集員大坪昌夫及び瀬川節子が本件作品の原稿を一読した後主人公の後藤大作は佐藤栄作であると思つた旨供述しているばかりでなく、この作品の挿絵を描くことを依頼された画家の田代友綱がその構想を練るために右瀬川節子から本件作品の原稿を読み聞かされると、直ちに、主人公の後藤大作は実在の佐藤栄作であり、岸井新介及び古田首相はそれぞれ実在の現総理大臣岸信介、吉田元総理大臣を指すものであると直感して同人等の似顔を描いて挿絵としたことによつても充分認められる。

そして本件作品の登場人物が右のとおり客観的に実在の人物に近似しているのは決して偶然の一致ではなく、被告人宮本の主観においても同人が佐藤栄作を本件作品のモデルとしたことは疑う余地がない。それは同被告人が前掲証拠物の雑誌「全貌」及び「森脇メモ」(前同号証の四、六)の記事から取材している点及び証拠物の原稿(前同号証の二)中に、本件作品主人公の名前を初め「佐藤」と書いたのを「後藤」と訂正している箇所がある点からも充分窺うことができる。

他方被告人丸尾文六においても、同人が本件作品のゲラ刷を閲読したとき、主人公の後藤大作は実在の佐藤栄作を指すのでないかと感じ、編集部員の前記大坪昌夫を通じて電話で被告人宮本に対して、佐藤栄作をモデルにして書いたものでないかと問い合せたのであるが、その結果、作品の末尾に、「この小説にはモデルはありません」と断り文句を書きながら、作品の冒頭には、「疑獄事件で指揮権を発動した古田内閣の幹事長後藤大作は幹事長を引退したが云々」と読者の興味をそそる引句を掲記し、しかも前記のとおり佐藤栄作等の似顔の挿絵まで挿入して、これを出版販売したのであるから、被告人丸尾の方にも、本件作品が実在の佐藤栄作をモデルにしたものであるとの認識があつたことは疑う余地がない。

次に、本件作品の内容が果して被告人等の主張するように単なるフイクシヨンであるから、佐藤栄作の名誉を毀損するものでないかという点について考察する。

小説は作者の想像力によつて事実を構想し、脚色する物語である。しかも人間に関する事実を描き、人間味を追求するのが小説であるから、作者の頭の中には実材のモデルが材料に使われ、読者も作品中のモデルに実在の人物を当てはめて推測することがあり得る。しかしその作品がフイクシヨンであり真に小説であるから事実ではないと称し得られるためには、個々の実在のモデルから感じ取られた生のものが作者の頭の中で充分に燃焼し、完全なフイクシヨンに昇華して、特定人の具体的行動を推知せしめない程度に、人間一般に関する小説の純粋性を有するものにまで高められていなければならない。

ところが本件作品についてみると、前述のとおり、被告人宮本が実在の佐藤栄作をモデルにしたことが明らかであり、しかも右作品中の主人公後藤大作と女秘書との交渉の顛末は、その個々の場面をとらえてみれば、他愛もない物語であるから、作者のフイクシヨンであることに相違ないが、主人公をめぐる登場人物、その背景として描写されている大全経済の加藤土福からもらつた金で家を建てたり買つたりしたという点並びに赤坂の芸妓との間に十九歳の娘があるという点は、被告人自身雑誌「全貌」及び「森脇メモ」(前同号証の四、六)の記事から取材したことを認めているとおり、当時世間に喧伝された保全経済事件及び造船疑獄事件等に関し、自由党幹事長佐藤栄作をめぐつて、世人から臆測されていた事実が生のままで織り込まれているのであるから、本件作品を全体としてみると、モデルである佐藤栄作個人に関する事実を推知せしめない程度に完全なフイクシヨンになつているとは言えず、人間一般に関する小説の純粋性を有する作品にまでなつているとは解せられない。

しかも本件作品の内容は、被告人両名が主張するように主人公である佐藤栄作に対して積極的な悪意をもつて書かれたものではないとしても、同人に対する社会的評価を低下させるおそれのある同人の非行に関する記載を含み、被告人両名にこの点についての認識がありながら、これを雑誌に掲載し、判示のような経過で出版、販売したものであるから、被告人両名には、佐藤栄作の名誉を害すべき本件作品の出版、販売に対する共同加功の意思と行為の分担があつたものと言わねばならない。すなわち、法律的には、被告人両名が共謀の上、公然事実を摘示して、佐藤栄作の名誉を毀損した場合に該当する。

要するに作者の主観においても、作品を客観的にみても、実在の特定人がモデルになつていることが明らかであつて、個々の材料が作者の創作力によつて充分に料理されておらず、完全なフイクシヨンになりきつていない場合には、ただ単に小説という文学形式をとつたからといつて、特定人の名誉を害する表現が許されるいわれはなく、それをあえてした作者が処罰を免れることがあつてはならないのである。

(弁護人の主張に対する判断)

一、被告人宮本正勝の弁護人林逸郎は、本件名誉毀損の告訴は被害者である佐藤栄作の意思に反し、同人以外の者によつて告訴の形式がとられたに過ぎないから無効であると主張するけれども、証人佐藤栄作及び小玉治行の公判廷における各証言によると、被害者佐藤栄作の意思に基いて、弁護士小玉治行を告訴代理人としてなされたことが明白であるから、右告訴は形式的にも実質的にも何等違法の点は認められない。従つて右弁護人の主張は採用できない。

二、被告人宮本正勝の弁護人林逸郎、津田騰三、古長六郎及び有松祐夫並びに被告人丸尾文六の弁護人津田騰三及び佐藤憲郎は、本件作品がフイクシヨンであるから名誉毀損でないとの主張が認められないとしても、本件は公務員である佐藤栄作に対する名誉毀損被告事件であるから、起訴状には刑法第二百三十条のほか、同法第二百三十条の二第三項を掲記しなければならないのに、その記載がないから公訴棄却の判決をなすべきであると主張するけれども、刑法第二百三十条の二は同法第二百三十条の名誉毀損罪のいわゆる消極的構成要件ないしは違法阻却事由を規定するもので刑罰各本条ではないから起訴状に掲記すべき罰条には当らないものと解せられる。従つて弁護人等の主張は採用できない。

三、次に、右弁護人等は、判示一、の佐藤栄作が保全経済会の伊藤斗福から金をもらつて家を買つたり建てたりしたという事実を公然摘示して佐藤栄作の名誉を毀損したという点は、未だ公訴の提起されない収賄行為に関する事実であるから、公共の利害に関する事実と認められるところ、被告人両名が本件雑誌を出版販売した行為はその目的が専ら公益を図るに出たものであるから、その真否を判断すべきであり、仮に右判示一、の点が公益を図る目的であることが認められない場合及び判示二、の点については、公務員である佐藤栄作に関する事実であるから、その真否を判断すべきである。しかもそれが真実でないことについての立証責任は検察官にあるところ、その不真実の立証はなされていないから、被告人両名を罰すべきではない。またその不真実の立証があつたとしても、被告人としては、これを真実であると信じていたのであるから、名誉毀損の犯意が阻却されると主張するのである。

佐藤栄作が当時衆議院議員で公務員であつたことは明らかであり、同人が保全経済会の伊藤斗福から金をもらつて家を建てたり買つたりしたという事実の摘示については、佐藤栄作が右の行為について未だ公訴の提起を受けていないことが認められるので、右記載の事実はこれを公共の利害に関する事実と看做さねばならない。しかし、このような事実を記載した本件作品を掲載した雑誌面白倶楽部を出版、販売したことが専ら公益を図る目的に出たと解せられるかについては疑問がある。一般的に言えば、娯楽雑誌の出版販売事業も広い意味において、一国の文化を向上させ、公衆の娯楽と教養に資するところがないとは言えないが、本件作品の出版、販売行為は、営利を目的とする私企業の組織による出版事業であり、本件作品の性格、表現の方法、文学的価値及び被告人丸尾の編集態度等からみると被告人両名は読者の興味をそそる点に重点を置いたことが明らかで、これによつてより多くの利益を図ろうとしたことが認められるから、被告人両名が専ら公益を図る目的に出たものとは解せられない。しかも当時佐藤栄作が保全経済会の伊藤斗福から金をもらつて家を建てたとか買つたとかいう事実が真実であるという積極的な証明はなされていない。

次に判示二、の佐藤栄作が赤坂の芸者との間に十九才になる娘があるという点についても、同人が当時公務員であつたのであるから、公務員の私行に関する事実ではあるが、なお公務員の品性、資質に関する事項と解せられる。従つてその事実を摘示しても、それが真実であることの証明がある場合には、その事実を摘示した行為者は処罰されないものと認むべきであるが、右の事実が真実であることについても積極的な証明がない。

そして右の事実について真実の証明がない場合、その犯意が阻却されるためには、行為者において、単に右事実を真実と誤信した旨の弁解をするだけでは足らず、積極的にそのように誤信するについて、正当な理由があるとされるような情況の存在することについて証明をしなければならないのであるが、このような事情の存在については証明されていない。ただ前述のとおり、被告人宮本が本件作品を執筆するに当つて、雑誌「全貌」及び「森脇メモ」(前同号証の四、六)の記事から取材したことは認められるけれども、右両文書の性格、表現方法からして、右の記事を真実であると信じたとしても、健全な常識に照して合理的に首肯し得る程度に客観的な情況があつたものと解することはできない。

また右の証明についても、弁護人は検察官に立証の責任があると主張するけれども、この場合の真実の証明とは、その事実の存在が公判手続において証明されなければならないという意味であり、証拠調の結果右事実が積極的に証明されない以上被告人の不利益に判断されるという趣旨に解すべきであるから、真実であるとの証明が積極的にされなかつた本件においては、被告人の不利益に判断されてもやむを得ないのである。

従つて、以上のとおり弁護人の主張は、いずれも採用することができない。

(法令の適用)

刑法第二百三十条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条(罰金刑選択)、刑法第十八条、刑事訴訟法第百八十一条第一項本文

(量刑の事情)

被告人両名が本件作品掲載の雑誌を出版販売した動機については、被告人等主張のとおり、実在の佐藤栄作を誹謗しようとの積極的意図がなかつたことは充分認められ、右作品全体の構想も主人公である佐藤栄作に対する悪意に満ちたものではないが、被告人宮本の創作態度も被告人丸尾の編集態度も徒らに読者の興味に迎合したもので、その表現の形式方法も低俗の感を免れない。また被告人両名の佐藤栄作の非行に対する非難の感情が公憤に出たとしても、その感情が純粋な正義感にまで高められているとはいえない。しかし被告人等の経歴、性向その他諸般の情状を考察するときは、被告人両名に対しては懲役または禁錮刑を科すべきではなく、罰金刑で処断するのが相当である。以上の理由から主文のとおり判決する。

(裁判官 浦辺衛)

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